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四十二杯目 僕はここで、店を続ける

夏に死んだ金魚は、秋に金魚草になるという。

キャンプ、フェス、海水浴、バーベキュー。夏にわくわくしなくなったのは、オヤジになったということか。

でも、オヤジになることを嘆く必要はない。世のなかは、オヤジになれず若くして亡くなった人たちの悲しいニュースであふれているのだから。

神様は、人生を一度しか与えないかわりに、誰のどんな人生にも意味を与えてくれた。瀬戸内海の見える田舎育ちの凡庸な人間にも、小さな夢を持つことを許してくれた。

叶えるという字は、口に十字架と書く。叶えたい夢があるなら口に出して言うことが大事。たくさんの人に助けられ、はじめて夢は現実となる。そうやって僕も、二年半前になんとか店をオープンさせることができた。

大人になるって、気合いや勢いだけではどうにもならないことが世のなかにはたくさんあるってことを知ることだと思う。ありのままの無力な自分を受け入れられるようになったのは、いつの頃からだろう。

注文に完璧に応えるのは一流の仕事。それにベストを尽くすのは二流だと聞いたことがある。僕のような四流は、無理せず、あせらず、人に迷惑をかけないようゆっくりこなせばいいのだと自分に言い聞かせる。

欲と雪は、積もりすぎると道がわからなくなる。身の丈にあった生活を心がけ、それ以上のものは求めない。ときどき見栄を張って後悔するけど、無理をしないのが自分の世界を作ることだと信じている。

愛嬌のある人ってすごいなと思う。優しい人、面白い人、気遣いの人、いろんな人がいるけど、愛嬌のある人には敵わない。「愛嬌とは、自分より強い敵を倒す柔らかい武器だ」と夏目漱石が言っていた。なるほど。

最近学んだことがある。毎日楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから毎日楽しいんだと。僕が笑えばお客さんも笑う。僕が嫌えばお客さんも嫌う。お客さんは自分自身を映す鏡。おかしな人間関係に巻き込まれるのは、こっちがスカッとしてないからなんだ。

母との約束はいまも守っている。トイレとグラスはいつも綺麗にしておくこと。パンツと靴下は安物でいいから常に清潔なものを身につけること。そして、本物に触れること。

四角い空に月が浮かぶ。今夜も白みはじめた空を眺めながらひとりグラスを磨く。

幸福というものは、ありふれた日常のなかにひっそり隠れているものだと思うから、僕はここで、ひっそりお店を続けていきたいと思う。

佐伯という名前は「囀る(さえずる)」からきているらしい。嬉しいときは歌をうたうことにしよう。迷ったときは地道に生きることにしよう。疲れたときはちゃんと休むことにしよう。

10年後も素敵な仲間に囲まれていることができたら、それはきっと、僕の勝ち。

約3年半続けさせていただいたコラムは今回で終了となります。長い間、外苑前マスターの独り言にお付き合いいただき本当にありがとうございました。

また、とこかでお会いしましょう。
できれば、トーストのカウンターで。

 


著者プロフィール

月刊連載『外苑前マスターのひとりごと。』毎月15日公開
icon_saeki佐伯 貴史(さえき たかふみ)

BARトースト』のマスター
コーヒー会社で営業を経験後、雑誌の編集に興味を持ち『R25』『ケトル』等の媒体に携わる。歌と本と旅と人が好き。餃子は酢とコショウで食べるのが好き。