title_tanabes

不定期気まぐれ刊行 vol.01

私とパンとの記憶

 

私は既に60年余り生きている。それは現在の様に文明も進化しきっている時代とは訳が違いテレビも無く、電話も無く、無論パソコンも携帯電話も無いアナログ感満載な時代に生まれた。そんな私の記憶を辿ってみた。

私は浜松市の街中に生まれ幼稚園の頃はロバのパン屋(本物のロバが荷台を引っ張ってくる)や、小中学生の時の給食で出されるコッペパン、近所のお菓子屋が初めてのパンの味だと記憶するがそれが美味しかったとは全く思わない!

母が洋風の生活を好んでいたので朝食はトーストとバター、ジャム、紅茶そして味噌汁もあったなぁ。

そんな子供時代から私は高校生になり本格的にパンが好きになった。

それは厳しい私立の女子校に通っていた唯一の楽しみは学校帰りに一人で映画を観て帰るというマイペースな女子で、それは1968年から1971年の激動の時代でもあり、「いちご白書」「アリスのレストラン」「イージーライダー」「卒業」「ウッドストック」等やフランスヌーベルヴァーグ映画で、左翼思考が強く自由に憧れる物語にドップリ浸かっていた、その映画のお供は当時人気のシャンボールと言う店でフランスパンを一本買いそれをかじって観ていた。それが美味しいと感じたフランスの味だった。

当時はバゲットなどとは誰も言ってなかった。

そんな多感な十代から私は東京の文化服装学院に入った。母の影響からファッションが好きだったからだ。学校では色々学ばせてもらったが、人一倍ませていた私は中学時代から東京で遊んでいたし、同級生には全く興味無く、もっと大人の世界が知りたいと夜な夜な赤坂のビブロスで遊んでいた。最年少だった。

そこで知り合ったのがBIGIの服に憧れていて後に仕事をする事になった菊池武夫だった。私が19才の時だ。ビブロスのカッコイイ大人達に囲まれてファッションとは自己表現でありアイデンティティーの最たるものだと確信した。

そこには先日亡くなったデビッドボウイもT-REXのマークボランもモデル、デザイナー,達も飛切りのスタイルで毎晩遊んでいた。私もだった!

パンの話からそれてしまったが、そんな世界を見て好奇心旺盛な私は他の国にももっとカッコイイ人達がいるはずだ!と学校を卒業して皆は就職するのに私は1974年パリに行くことにした。

そこでパン好きの私には毎日のバゲットやクロワッサン、クレープのお陰で5キロも太った。

パリの街角には必ず地元のブーランジェリーとカフェがあり毎朝焼き立ての様々なパンが並ぶ、そんな日常生活である日、道を歩いていたら前から紳士がバゲットを片手に持ち(袋には入れないし、ない)知り合いとばったり会った様だった。彼は驚いた事に、そのバゲットを歩道と壁のところに生で立て掛けて知人とおしゃべり!

パリの歩道はワンちゃんのおしっこもウンチも、ゴミもホコリもあるのだ!綺麗に毎朝掃除はしているのだが、日本人の私には考えられない光景であった。それを友人に話したらキリスト教徒のフランス人は「パンは神聖なものだから汚れないんだ!」と、、、。

その後フランス人の友人宅の小さなパーティーにお邪魔したら、ここでも目が点になった。あちらは当然土足生活、そこで1プレートの料理とパンとワインを配られそれぞれの場所で話しながら食事をする。その時友人達はテーブルもあるのにパンを床に置いてプレートの料理を食べていた。清潔好きな日本人には理解不能である。

まあそれもパンは神聖なものだから! そんな様々なシーンを垣間見て日本人との文化の相違を実感したが素晴らしく個人主義で大人なフランスは私の性にあっていた。

レストランでもパン籠はあるが銘々のパン皿は無いのが普通だ、テーブルクロス上に置いて食べるのは窮屈でなく私は好きだし、そんな食事の仕方は自由で洗練されていると私は思う。この数十年の間に日本でも美味しい様々なパンを食べられる様になったのは嬉しい事だがパリでも日本でも街のパン屋と喫茶店がどんどん無くなっていくのは寂しい。

これも時代の流れとすませられるのはどうも納得いかない。

そこの街の文化や人としての付き合いも無くなってしまうからだ。

人は支え合い楽しさ辛さを共有して生きていくのが理想だ。かつて何も今の様に無かった時代だが、それが人間の暮らしだったと私は記憶している。

パン屋とカフェは大切なコミュニケーションの場である。

 


著者プロフィール

『私のしてきた過去、現在。』不定期きまぐれ刊行 
icon_tanabe田辺 三千代

静岡県生まれ。
文化服装学院デザイン科卒業後パリ遊学。
アパレル会社プレスを経て1984年メンズデザイナー菊池武夫と共にTAKEO KIKUCHIブランドをチーフプレスとして支える。
1999年山梨県西湖にCAFÉ Mをオープンさせそれまでマイナーなイメージだった西湖を内外から認知された。
2002年(株)ジュンのPR室顧問として2010年まで在職する。
2005年既存の紙皿には和食は似合わないと発案し、WASARAブランドをプロデュース。現在世界中で販売されている。http://www.wasara.jp
2012年5月マガジンハウスから出版された「菊池武夫の本」に深く関わる。
2012年11月菊池武夫の旗艦店オープンに伴いキュレターとして参加。
2015年4月より広島の原爆の子に世界中から贈られる千羽鶴をリサイクル紙にし作った扇FANOを発案プロデュース。8/6の式典に寄贈し現在(株)カミーノと共にビジネスを進行中。www.fano.jp