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月の本棚 二月 「空ばかり見ていた」

気がつくと、空を見ている。
その証拠に、雲や月の写真ばかり撮っている。

空を眺めると内省的な気持ちになって、ぼんやりしてしまうことはあるが、
ヨシ!とやる気になるようなことは、ない。

わたしの読む本は、空と似ているかもしれない。
果てしないところも、時々、保存しておきたくなるところも。

書斎はないが理想的な窓がある。そのあたりで本を読むうち、遠くまでさらわれ、
そのまま眠りにおちていくのは、この上なく幸福なことだとおもう。

『空ばかり見ていた』は、十年ほど前に読んだ、流浪する理髪師の物語だ。
彼はひとの心のうちを読みとる能力があり、パントマイムができる。

久しぶりにページを繰ると、古い映画の情景のような、夢の断片のような
12の短篇が静かに再生される。彼は主役の時もあれば、影の脇役の時もある。

全篇に漂うのは、永遠に失われてしまったものへの想いだ。
不在が、圧倒的な存在感でそこにある。
理髪師はそれを、言葉でないもので、やさしくすくいとる。

春から秋まで働いて、すきなだけ本を買いこんで冬ごもりする女の子は、
夜のトーストを愛している。ジャムの蓋があかなければ、たとえ真夜中であっても
駆けつけてくれる男の子がいる。

雨を待ち続ける女優は、墜落した天使の残骸なるものを博物館に見にいく。
マリリン・モンローが最後の映画を撮ったという、アメリカ西部の埃っぽい町で。

理髪師は旅先のちいさなホテルのフロント脇で、塩なしの8の字のパンを買い、
蚤の市で手にいれたひびわれたボウルでコーヒーをのみながら、
裏のアパートの窓のあかりを眺める。
海辺の映画祭を訪れた女性は、何十年もまえの夏休みを回想する。
青、赤、白の特大ビーチパラソルを立てて、夏のあいだだけ開かれていた
床屋のこと、その夏に失くしためがねと、居なくなった男の子のことを。

物語はどれも懐かしく、ところどころ記憶から抜け落ちていた。
理髪師がひとではない客を迎える話がそうだ。異質に感じ、読みとばしていた。
「美しさが、しばしば悲しみと共にあるのはなぜか」。そんな言葉もあったのに。

わたしの読む本は、でも、空のように移ろうことはない。
読む時によって受ける印象が変わるのは、自分のほうが変わったからだ。
そういうことに気づくのが読書の醍醐味だ。ほら、内省的になるでしょう?

わたしはいつも、そんなふう。
空を眺めるように本を読む。

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『空ばかり見ていた』吉田篤弘著(文藝春秋2006)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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