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月の本棚 三月
あるときの物語。めぐりあう時間たち。

日記に出合った。それは不特定多数にむけたブログのような文章ではなく、不特定個人に話しかける切実な言葉だった。ページを繰るうちに引き込まれ、やがて読みおえずには眠れなくなった。

日系アメリカ人作家による『あるときの物語』はそんな小説だ。15歳の帰国子女、ナオの日記がカナダの海岸に打ち上げられ、拾い主が現在進行形でナオの物語に関わっていくのだ。日本語訳もいい。

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ナオは秋葉原のフレンチメイドカフェで書いている。家にも学校にも居場所がない。日記はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の古書のなかみを入れ替えたものだ。「フランス語ってなんだか洗練されている感じがする」し「バッグにちょうどいい大きさだったから」。でもクラスの誰かに読まれないための偽装でもある。それはこんなふうに始まる。

「こんにちは!わたしの名前はナオ。わたしは有時(タイム・ビーイング)。
有時ってなんだか知ってる?」

いきなり難しい概念が飛び出すのは、104歳の禅僧、ひいおばあちゃんのジコウの影響だ。ナオはそれを15歳の視点で書く。オタクカルチャーや友だちについても。それはカバーの「マルセルおじさん」が腹をたててしまいそうな、ありきたりな女子の日記ではなく、時空を越えた先にいる個人の「あなた」に話しかける手紙だった。

「なんかね、時間の向こうに手を伸ばして、あなたに触れるような気がするの。で、あなたもこれを見つけたわけだから、時間のうしろに手を伸ばして、わたしに触れているんだよ!」

いきいきとした女の子らしい口調の、しかしその内容はシリアスだ。ナオの父親はかつてシリコンバレーで優秀なプログラマーとして働いていたが、あることから解雇されて帰国し、生きる希望をうしなっていた。ナオは日本で酷いネットイジメにあっていた。ジコウの息子でフランスの詩を愛した特攻隊員、ハルキもかつて死と向き合っていた。

理不尽なことが降りかかってきたとき、彼らはどう切り抜けていったのか。推理小説のような謎解き。終盤で明らかになる真実。哀しみを透過していった底に、可笑しみとやさしさが光る。

日本では“戦争”っていえば、第二次世界大戦のことだけれど、というのもそれは日本が戦った最後の戦争だったからなの。アメリカではもっと具体的に言わなければならない、と説明していたナオの言葉が印象に残った。

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『あるときの物語』ルース・オゼキ著 田中文訳(早川書房2014)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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