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「下町のナポレオン」

私の実家は東京下町の町工場だった。一階が工場で二階が住宅。一階の工場からは常にラジオが流れていた。隣の家の作業場からも同じ番組がながれ、町内放送のようでもあった。私は高校生の夏休みや大学時代には父を手伝った。作業中はラジオが流れていて、きまって番組はTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」だった。わざわざほかの番組にしようとはしなかった。ラジオ自体が古かったのかどうかはよく憶えてはいないが、工場の中でよく聞こえる向きや場所があって、局を変えるにはそれらをわざわざ調整しなければならなかったし、電源を入れるだけのほうが簡単だった。そしてなにより作業の手を止めてまで変える必要もなかった、というより実際に内容をよく聞いていなかったのかもしれない。

もっとも父はラジオによく耳を傾けていた。作業の手をとめることはなかったが、仕事が終わってから投稿などもしていた。
TBSラジオの「永六輔の誰かとどこかで」という番組の中に聴者投稿のコーナーがあった。そのコーナーは1967年の放送開始当時、はがき1枚の送料が7円だったことに由来して「七円の唄」と名付けられていた。

「いつものように集団登校場所に行くと、誰もいないと泣きながら戻ってくる小学校1年生の次男坊。きっと少し遅かったからかもしれないと母親と一緒に再び学校へ向かう。しばらくすると笑いながら帰ってくる親子。庭のアジサイを見ている。開校記念日で学校お休みなんだって」

というエピソード。父の投稿だった。読まれた本人(私)はとてもこそばゆい感じだったが、父は永さんに読まれたことを、晩酌しながら自慢げに話していた。

今年4月、30年続いた「大沢悠里のゆうゆうワイド」が週5日4時間半の生放送から土曜日週一度の番組へと改編された。最長寿高視聴率として人気のこの番組を惜しむ声も多いなか、この番組の枠の後任として任されたのが伊集院光さんだった。

伊集院光さんは、たまたま私とほぼ同世代の同じ地元出身なのだが、先日放送開始前に掲載されたインタビューが実に面白かった。
http://mainichi.jp/articles/20160409/mog/00m/040/004000c
「大沢さんの後だからむしろハードルが低い」という逆転の発想は何とも頼もしい。またラジオの帝王と称されると「○○の」という冠とそのあと「××」のギャップが大きいほどあまり褒められている感じががしないと話していた。
そういえば父がよく晩酌に飲んでいた焼酎のいいちこには 庶民性と高級感や親近感を表す「下町のナポレオン」とサブネームがついていたな。
ゴールデンウィークになると、4年前に他界した父を思い出す。

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※写真は東京下町の桜の名所「谷中墓地」(4年前)


著者プロフィール
月刊連載『パイント・オブ・ギネス プリーズ!』毎月8日公開
icon_naga長濱武明(音響空間デザイナー・アイルランド音楽演奏家)

1992年に初めて訪れたアイルランドでアイルランド音楽と特有の打楽器であるバウロンに魅了され、以来十数回の渡愛の中で伝統音楽を学び、建築設計の実務も経験する。現在は音響空間デザイナーとしての業務をこなしながら、国内におけるバウロンプレーヤーの第一人者として国内外で演奏活動をする他、プロデューサーとしてコンサートやワークショップを主催している。
バウロン情報サイト バウロニズム https://www.facebook.com/Bodhranizm