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月の本棚 五月
京都の平熱 哲学者の都市案内

帯に「舞妓さんと坊さんのあいだ」とある。
持ち歩いて読みこんだので、ぼろぼろになっている。

これはわたしが一番おもしろいと思っている哲学者、鷲田清一先生による京都案内の本だ。
あまたある京都本のなかでもとくべつ気に入っている。といっても『月の本棚』で紹介する本なので、「ヨシ!ここ行こう!」と活動的な気分になるはずもなく、なんとなく遠くを、または自分の内側を静かに眺める読書となる。

「舞妓さんと坊さんのあいだ」とは、両極端のあいだのことだ。舞妓さんは衣装も化粧も足し算の極み、一方で修行僧の姿は飾りや贅沢を排した引き算の極みで、一般と異なる形としての両極をなす。その姿を見慣れている京都の人は、ファッションにおける二つの限界を把握している、という話。この範囲内ならどんな格好をしてもいいけれどその先は異なる世界、という限界を知っていたら、心おきなく装いを愉しむことができる。

その先は異なる世界。京都は町にもそんな結界が数多く存在し、この世界の外に通ずる孔(あな)があちこちに開いているという。別の世界、他の可能性。そこに想いをいたすことが容易にできる町。

たとえば大木。大木はその体内に、人の想像を超越する時間を宿している。向き合えば自分の存在も時間の感覚もゆらぐ。わたしはお寺の門や柱につかわれている木にもそれを感じる。手のひらで触れたり、耳を寄せてみたりする。お寺や神社はいうまでもなくあっちの世に通ずる場所だ。そして場末。近づいたらこの世界の外に出てしまうかもしれない昏(くら)い場所。この世の果て。

ニュータウンには大木もお寺も場末もない。効率的な消費の記号で隙間なく埋めつくされた町に孔はない。表面上は便利であれ、生きにくそうだ。孔が塞がっていたら五感、いや、六感を働かせる愉しみがない。

鷲田先生はいう。「『別の世界』がそこかしこにあって、そこに通じる孔に触れているだけで、ひしゃげた心、へし折れた心に、おずおずと色が甦ってくる。わたしのばあい、街をぶらつきたくなるというのはきまってそういうときだ」。おすすめは黄昏どき。「ふだんは見えない感覚、形をなさない感覚が一斉にうごめきだす」頃。わたしも夕刻、京都の街を歩くのがすきだ。通りの名がわからず自分の位置を見失い、途方に暮れていると、誰もいない軒先で風鈴がチリンと鳴る、そんなとき。帰宅した人が開けた格子戸のその先に、緑滴る坪庭が見えた、その瞬間。わたしはそこに孔をみつける。

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『京都の平熱』鷲田清一 (講談社学術文庫 2013)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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