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月の本棚 六月 
レモンケーキの独特なさびしさ

食べものをひと口味わっただけで、望みもしないのに調理した人の心身の状態、食材の情報までもが脳内に入ってきてしまうとしたら……?

料理に心がこもっているとか大量生産の味だとかなら、誰でも感じた経験があるだろう。でも9歳のローズに起こった現象はそんなに単純なものではなかった。

それは母手作りのレモンケーキによって発覚する。母親が抱えるさびしさ、虚しさ、渇望が、ケーキを通じて伝染したのだ。ローズは心配する。

なんか、からっぽな味がしたから。
なんか、どこかに行っちゃったっていうか。気分はだいじょうぶ?

大人たちはローズの心の病を疑うが、兄の聡明な友達、ジョージは違った。彼は焼き菓子店で彼女の特異な才能を検証したのだ。

ローズがクッキーに感じたのはこんなことだ。

「チョコレートチップは工場製なので、かすかに金属的で上の空みたいな味がするし、
バターは屋内で飼われている雌牛からとったものなので、ゆったりとした味わいに欠けている。(中略)全部を混ぜてドウをこねた職人さんは、怒っていた」。

その通り!聞けば職人はクッキーを焼いた時、腹を立てていたのだった。

こうした才能は子供には障害でしかなかっただろう。とくに食事を選択する自由のない子供時代には。

ローズの兄にはさらに変わったことが起こるのだが、ここでは省く。それを理解したのはローズだけだった。彼女は登場人物の中で一番大人だ。父と母と兄、そしてほのかに想いを寄せるジョージ。それぞれに対する彼女の気配り、思いやりが、せつない。

これは結構シュールな物語だ。でも、「その感じはなんとなくわかる」という瞬間ならいくつもあって、ぞくりとさせられる。

やがて成長したローズは、フレンチレストランに自分の居場所を見つける。その店の料理人と料理の描写が、ローズにようやく訪れた夜明けを思わせる。
「スープのこの味は私をみたすように流れた。温かく、親切で、焦点が合い、欠けたところがない」。

「どういうわけか、彼女の手にかかると、食べ物はそのものとして認められている、という感じだった。ほうれん草はほうれん草になった……農園でちゃんと世話され、塩と熱と彼女の注意によって、リラックスし、ひろびろと、葉っぱらしい自分を取り戻しているようだった」。

ほっとする。何かの代替行為や逃避ではなく、目の前の人と食べものに真剣に向き合ってつくられる料理。その感じが幸せで、ほっとする。さまざまなことに打ちのめされながらも、この世界で生きていく、希望の源みたいな気がするから。

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『レモンケーキの独特なさびしさ』 エイミー・ベンダー著 管啓次郎訳 (角川書店 2016)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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