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月の本棚 八月
うつくしく、やさしく、おろかなり

タイトルがどこか、色っぽいと思う。
つよく、きびしく、かしこい、よりも断然、惹かれる。
色っぽいという表現は、江戸時代には最高の褒め言葉だったそうである。

「つよくも、ゆたかでも、かしこくもなかった頃のわたくしたちの国に、
うつくしく、やさしく、おろかな人々が暮らしていた」

漫画家で江戸風俗研究家、いまは亡き杉浦日向子さんがこの本に綴った事柄は、町や時代としての江戸ではなくて、惚れた相手としての江戸を感じる。
へぇ……なかなか素敵、と思いながら、でもその人と、いったいどんなふうに暮らしていくのだ、と余計な想像をしたりもする。

惚れていても、江戸時代に生まれていたら良かったのになぁ、というような甘い感傷は微塵もない。彼女は、江戸の視点がわかる双眼鏡をわたしに手渡してくれながら、自分が惚れた相手について、きりっとした言葉で滔々と語る。格好いい。

それはどんな人(江戸)であったか、ちょっとだけ、書きだしてみよう。

彼は、人を羨ましがることがない。人真似も嫌いだ。

彼はものを持たない。家財道具は最小限だし、宵越しの金も持たない、シンプルな暮らし方をしている。お金を貯めたり見栄や欲に囚われたりなど、執着することがないから、いつまでも若く健康で長生きしなければ、などとは考えない。何も身にとどまらず、とどこおらない、風流の人である。

産業社会は野暮が動かしているという。風流なリッチマンとして世に知られた人がいるならばそれは、風流のバーチャルリアリティを大枚はたいて取り入れた人のことだ、と日向子さんは語る。

彼は働くことより楽しく遊ぶことを真剣にする。
その遊びは(ポケモンGOはもちろん)長時間行列するアミューズメントパーク的では決してない。創意工夫が必須だ。たとえば枯れ野見、という遊び。月でも花でもなく枯れ野を見に出かけて行くのだそうだ。枯れ野を見ても遊べる能力を、彼は持っている。

そして彼には「時間がない」という感覚がない。時間は無尽蔵にあると思っている。時間は、生まれる前からあったし、死んだ後もあるものだと。
だから暮六つに待ちあわせよう、と言われたならば、それは17時~19時くらいのことだから、最長2時間待つ覚悟ということだ。効率など考えにない。

江戸とは、そんな彼のことだ。ものがなくても満ち足りている。全然頑張ったりしていなそうだけれど、無理がなくて柳みたいにしなやかだ。

危機的な状況や長い旅の後で、いつもの風景ががらりと変わって見えることがあるが、この本を読んだ後もそんなふうになる。江戸の視点を描くその筆力に圧倒される。

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『うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」』
杉浦日向子著(ちくま文庫2009)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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