今夜、すべてのバーで 1.

タイトルは、中島らもさんの名作からの拝借。
20年ほど前、本屋さんでたまたま見かけたタイトルに惹かれ、 “ハードボイルド小説” と勝手に決めつけ読んでみたこの作品が、アルコール依存症の主人公の物語だとわかり、驚いたものの面白くて一気読みをしたことがある(最近、久しぶりに読んだけれど、やっぱり面白かった)。で、今日は、らもさんの作品の話というわけではなく、バーの話。

ぼくが下戸でまったくお酒が飲めないことはこちらでも書いたけれど、そんなぼくが何故バーの話を書こうとしているのかといえば、今年は恐らくこの数年間で一番、 “バー” という言葉を耳にした年だったから。
友人がもうすぐバーをはじめるということもあって、それにまつわるお話をたくさん聞かせてもらったということもある。そして、実は中学生のころからぼくは人一倍、バーに憧れていたという過去がある。といってもバーテンダーさんの方でなく、 ”バーのお客、常連” になりたいとずっと憧れていた。

将来まだ自分がどんな仕事をするのかもわからなかった中学生時代、ぼくのささやかな夢は “行きつけのバーを見つけ、カウンターの端で1人で飲むこと” だった。ぼくは大人になった自分が、週末になるといつものバーカウンターの端で飲んでいる姿を想像しては、そんな日がくること、そんな大人になることを心待ちにしたものだった。
帰る際には、「(お会計)お願いします」なんて無粋なことは言わない。カウンター越しのご主人にさりげなく目配せだけをし、お札を1枚置いて店を出る。それが千円札なのか5千円札なのかは未だに相場がわからないんだけれど、間違ってもご主人から「お客様、足りませんが・・・」なんて呼び止められるようなことがあってはいけない。もちろんお釣りなど受け取らない。あぁ、今想像しても憧れる。

人生で初めてお酒を飲もうとした時というのは、当たり前だけれど自分が下戸であるという自覚がない。それどころか世の中には、飲まない人はいても飲めない人がいるなんて認識すらなかったので、 “下戸” という言葉を知ったのもそれからずっと後のことだった。
友人らと一緒に飲んでいてもみんなはご機嫌になる一方なのに、何故かぼくだけは一口飲んだ直後から頭が割れるように痛いし、酷い時には冗談のように天井がクルクル回ることもあった。そして辛いものの「鍛えれば飲めるようになる」という悪友の言葉を信じ飲みつづけた先には、いつも決まって涙目になりながら「もう絶対に飲まない」と嘔吐するぼくがいた。
友人らが「美味しい、美味しい」と飲んでいるものと同じものを試しに飲んでもみたけれど、やはり涙目のぼくから出てくる感想は、「保健室の味がする・・・」という意味不明なものしかなかった。

つづく

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。