今夜、すべてのバーで 2.

前回のつづき
お酒の飲める方と食事をご一緒したり、お酒の話題になった際、ぼくが飲めないということを話すと、たいてい同じような会話になる。

「あぁ、お酒飲まないんですか。」

「いえ、いえ、飲まないんじゃなくて、飲めないんです・・・」

すると、必ずというほど会話はこうつづく。

「あぁ、アルコールを分解する酵素が身体にないんですね(あるいは少ないんですね)・・・・」

「みたいです・・・」

下戸というのは体質らしい。ということは、”鍛えれば・・・” という話でもないことになる。
ぼくは若いころ、お酒が飲めないということで周りの人たちから「人生の半分は損をしている」と何度言われたことかわからない。
これほど周囲の方々から言われつづけると本当にそんな気にもなってきて、なんだか不公平な感じがしなくもなかった。
ところが近年、「人生の半分は損をしている」というこのセリフを耳にすることも激減した気がする。
そういえば、「最近の若い人は、お酒を飲まなくなった」という話もよく耳にするようになった。
ぼくのように飲めないのか、それとも飲もうと思えば飲めるけれど、飲みたいと思わないだけなのか・・・。いろんな方のお話を聞いていると、どうも後者のような印象を受ける。それに昔はあれだけ飲める人たちが周囲に大勢いたのに、たったこの10年、20年ほどで日本人の身体からアルコール分解酵素が急激に減ったとも考えにくい。

「お酒を飲んでも美味しいと思わないんです」、「ビールの良さがわからなくて苦いとしか思わないんです」といったことを身近な人からもよく耳にするようになった。もうまったく同感。異議ナシ。
いや、でもね、君たちは「バーに行きたい」だとか「1人でカウンターで飲んでいるオレって、大人だなぁ」と思ったり、友人でも同僚でも家族でもない距離の人生経験豊富なバーのご主人とお酒を飲みながら、ちょっとだけ語りあってみたいとか思わないの?と思わずにはいられない。他にも、飲めることで楽しいと思えることが増えたり、知り合える人たちの幅だってかなり広がるに違いないと思うんだけれど。
飲めないことで人生の半分も損をしているとまでは思わないけれど、本当に今の若い人たちの多くが、 ”飲もうと思えば飲めるけれど、飲みたいと思わないだけ” なんだとしたら、「もったいない、その分解酵素とやらをぼくに譲ってくれないか」とさえ思ってしまう。
飲まないのと飲めないのでは、まったく意味が違う。

ぼくが “ 飲まざるものバーに行くべからず ” と考えるのは、当然お店の方に失礼にあたるという思いもあるし、”ぼくが、あまり外食をしない理由” と同じ理由でもあるんだけれど、ぼくなんて一時は、 ”それなら、自分でバーもつくっちゃって経営すれば、気兼ねなく行けるようになるなぁ ” とまで本気で思ったこともあるんだけどな。

つづく

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。