子供は大変だなぁと思う話。

ついつい「大人って、いろいろと大変だなぁ」とこぼしてしまうことがあるんだけれど、本当にそうなのか?と、ふと思っていたところへ、うちの京都スタッフから送られてきたブログの原稿に、こう書いてあった。

 
“「学生の時は学校という狭い世界がすべてだったけど、いまの自分らはいろんな世界で生きとる。仕事しとる時のわたしと、今あんたと話しとるわたし、家におるわたしは違うんじゃけ」

わたしは、初めて大人って最高だなとおもった。

ひとつの世界でうまくいかなくても深刻になる必要はなくって、他の世界で楽しくやってたら、そっちもいずれうまくいくようになる。

まあがんばろうやー、と話して電話はきれた。”
 

若いのに良いこと書くなぁ・・・ホント、その通りだと思うよ。
大人には責任というものが付いてまわるから「大人って、いろいろと大変だなぁ」なんてついつい言ってしまうけれど、 ”責任” と “自由” というのは 2つで1組であり、トレードオフのような関係だ。
子供って、行きたくないと思っても学校へ行かないといけなかったり、やりたくもない勉強もしないといけないし、親のいうことだって聞かなきゃいけない。大人はやってもいいのに子供はやっちゃいけないことだって結構たくさんあるし、学校で付き合いたくないと思う友達がいても「仲良くしなさい」と先生から言われれば、表面上だけでも仲良くするしかないんだから、基本的には自分の意思での選択肢がない。 ”責任” と “自由” が1組だからといって、仮に子供が「自由が欲しいから責任を持ちます」と言ったところで、それさえ子供は認めてもらえない。そう思うと、本当に正しいのかさえ怪しい大人のつくったルールに従うしかない子供の世界って、ホント窮屈に思えるし、苦行にさえ思えてくる。

子供の頃は、あれだけ時間の流れがゆっくりで1日がとても長く感じていたのに、ぼくも歳を重ねるごとに誰もが言われるように年々時間の過ぎて行くのが早くなった気がする。だけど、楽しい時間はアッと言う間に過ぎて行き、嫌なこと、やりたくないことをしている時ほど時間の流れが遅く感じるというのは、子供も大人も変わらない。そう思うと子供の頃に感じていた時間の長さというのは、自分の意思で選択したわけでもないことを “やらされていたから” なんじゃないかとも思うし、大人になって時間が早く過ぎていくのは “やりたいことができている” ということなのかもしれない。

そういえば昔、ぼくの料理のお師匠さんの1人が、「もしも今、10代の頃に戻してやると言われても、オレは絶対に戻らない。大人の今が最高や!」と言われていたことがあった。その頃のぼくは生活に困窮していたぐらいなので、”そんなものなのかぁ” 程度に思っていたけれど、今ならよくわかるし、ぼくも同じ意見だ。
大人には “責任” という少しわずらわしいものがもれなく付いてくるけれど、その代りに自由がある。そして、恐らくこの自由というものの大半を占めるのは、”自分の意思で選択ができる” という権利を手に入れることなんだと思う。
大人だって多少の我慢が必要な場面もあるけれど、ちゃんと自立さえできていて、他人様にご迷惑をかけないのであれば、子供の頃のように気の合わない人と無理をしてまで付き合う必要もないし、友達でいる必要だってない。仕事も自分自身で選択することができるし、子供の時にはやっちゃいけなかったことも大人になるとできることだってたくさんある。そうそう、子供の頃には美味しいと思えなかった食べものが、大人になるととても美味しいと感じられるようになるものもきっとたくさんある。これも大人になることの楽しみの一つと言える。
世の中をつくっているのが大人たちなんだから、そこには子供よりも大人が楽しくなるためのものの方が多いのは仕方がない。

ぼくのブログを子供が読んでいるとは思えないけれど、子供や若い人たちが辛いなぁとか悩んでいることがあったとしても、いま自分に見えているものや理解出来ることがすべてだと思わずに “大人になると楽しいことがたくさんあるらしいよ” と思っていて欲しいと思う。大人になっても嫌なことや嫌な人と関わることだってもちろんあるけれど、それでも子供の世界にくらべたら、きっと大人の方が楽チンだ。自分の意思で選択できるんだから。子供と大人の両方を経験してきたぼくが書いているんだから恐らく間違いない。

なんとなく、”子供は大変だなぁ” と思い書いてみた。

 

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。