初詣

どうしても行きたいわけでもなければ、行かなくても構わないとも思うんだけれど、何となく初詣に行っている。
元々、人の多いところが苦手なので、午前0時をまわると同時にお参りに繰り出すというわけでもなく、元日の夕方以降、人が落ち着きはじめた頃を見計らって行くことにしている。
ぼくは特に信仰している宗教もなければ、どちらかといえば神様の存在も信じていないような罰当たりなタイプなので、お参りに行くのもどこでもいいと思っているんだけれど、何年も二重生活が続いているので年越しをする場所も、その時々で京都だったり東京だったりする。ここ2年は京都で年越しをしているから下鴨神社さんへ行っているけれど、これが東京だったら花園神社さんになる。それぞれ住まいから近いという理由だけなんだけれど。

今思えば、中学生の頃に感じていた大晦日から元旦に変わる瞬間のあの高揚感は一体何だったんだろうと思う。育ったのが田舎だったから日常生活の中にこれといった娯楽がなかったせいだとも思えるし、深夜に堂々と友達たちと遊べるという特別なイベント感があったのかもしれない。いずれにしても信仰心や礼拝といった尊い気持ちで行っていたわけではないし、そういった気持ちが欠如しているのは中学生の頃も今も変わらない気がするんだけれど、おじさんになった今では、眠いし寒い中、深夜に並んでまで初詣に行くよりも暖かい部屋で録画しておいたお笑い番組や格闘技を観ている方がいい。

こんなぼくでも初詣に行けば、他の方々と同じように一連の行動はする。神様の存在を信じているわけではないけれど、せっかくお賽銭を入れるんだから一応お願い事もするし、もしもそんな少額で願いが叶うのならその費用対効果はとても高いなぁなんて考えていたりする。
そういえば、こんな罰当たりなぼくの引いたおみくじが昨年、今年と2年続けて大吉だったんだけれど、それこそが “やっぱり神様がいない証拠なんじゃないか” とさえ思った。
ぼくは、おみくじの扱いをよく知らない。引いたものが良くなかった場合は神社にくくり付け、良いものの場合には大切に持っておくといった話を聞いたことがあるけれど、昨年、大吉を引いたぼくは、「神様に頼る気なんてない」と言って、ちゃんと中も読まずにその場にくくり付けて帰った。ところが今年は隅々まで読み、“事業 ますます繁昌する” という文言を目にしたぼくは、ちゃんと持ち帰って大切に保管している上に、「とりあえず今年は神様を信じることにした」なんて言っている。
この気まぐれは、数ヶ月後に控えたイベントに起因するに違いないんだけれど、我ながら ”人間なんて勝手で弱いもんだなぁ” と思った今年の初詣だった。

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。