“小さくて強い店” を考えてみた21.

前回のつづき
京都の一人当たりのパンの消費量の多さは有名で、それと関係があるのかどうかはわからないけれど、ぼくが1軒目をやった98年には、京都には既に街のパン屋さんがかなり多かった。
ぼくが店を出した今出川通りにも多くのパン屋さんが並んでいて、当時から雑誌などでは “パン屋ストリート” なんて書かれていたりしたものだった。
自分でも後発の店だという意識があったから、 “何か他所とは違うことをしないと・・・何か差別化できるようなものを作らないと・・・” という気持ちがあって、それが今のうちのスタイルにつながっている。

オープン当初、食パンを使ったハム・きゅうりサンドや、たまごサンドといった普通の三角サンドを作っていたのをやめたのは、当時、今出川通りを挟み、向かいにあったセブンイレブンさんへ両替をお願いしに行った際に、ふとショーケースを見たことがきっかけだった。
ご近所のパン屋さんと同じようなパンを作っていたんじゃ埋もれてしまう、薄れてしまうと感じたのと同じで、”セブンイレブンさんと同じものを作っていたのでは、いずれ売れなくなる。同じ土俵で勝負しちゃいけない。” という思いからだった。そこでぼくは、ご近所のパン屋さんやセブンイレブンさんと比較されようのないものを作ろうと考え、パン屋の狭い厨房で仔羊肉を焼き、エスカルゴを茹で、タプナードやブランダード、タラマ、パテ・ド・カンパーニュなどを作りはじめた。それをパンに挟み、サンドイッチ やカスクルートにすることで、”これならセブンイレブンさんをはじめ、大手さんやご近所のパン屋さんとも比較されようがなくなる。” と考えた。

ぼくがパンの勉強をするために、お世話になったフランス料理屋さんからパン屋さんへ移る際、料理のお師匠さんからこう言われたことがある。

「西山、悪いことは言わないから、お前が店をするときには、あのパン屋さんをそのままコピーしろ。やりたいことがあってもそれは一切やらずに、商品から値段まで全部そのままやれ。そうしたら店は上手くいくから。」

ぼくのお世話になったパン屋さんというのは、当時、作っても作っても売り切れて製造が追いつかないほどの勢いで売れていたし、一方で経営で苦労をされていた料理のお師匠さんが、ぼくにそういったアドバイスをしてくださったというのも決して悪気はなく、本心だったんだと思う。ところがぼくはお師匠さんの教えに抗い、開業して1年もしないうちに教えていただいたパンなどの原型をとどめないほどの商品構成へと変えた。それには前述したような理由もあるし、何よりも ”単にコピーしただけだったら、何のために独立したのかわからない” といった思いがあった。

こうして、 “フランス料理をサンドイッチに仕立てる” といった飛び道具は、お客さんに受け入れていただけるようになるまでに時間はかかったけれど、当時としては目新しかったこともあって、結果的には、その後のうちのウリ(武器)になったと思う。

つづく

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。