四十にして惑わず、五十にして惑う

少し前に、関ジャニ∞の渋谷すばるさんがグループを脱退するとかで騒ぎになっていたことは記憶に新しい。
ぼくが関ジャニ∞ のファンだというわけでもなければ、誰かジャニーズの特定のファンだといった話でもない。ちなみに高校二年生の姪っ子は関ジャニ∞ の熱狂的なファンで、ついでに書くと、ぼくはさすがにフォーリーブス世代ということはないけれど、トシちゃん、マッチ、ヨッちゃんのたのきんトリオ世代にあたり、当時大好きだったのは、明菜ちゃんだった。
いや、いや、別にアイドルについて書こうとしているわけでもない。

事務仕事をしながら、テレビに映る脱退会見を横目で流し観ていたぼくは、渋谷さんのある発言で手が止まり、思わず観入ってしまう。

「36歳という年齢を迎え、『人生の半分』と考えた時に・・・」

スーパーアイドルの発言を取り上げ、こう書くのも甚だ僭越ではあるけれど、その時ぼくは率直にこう思った。

”あー!めっちゃわかる。ぼくも35歳になった時、同じことを思ったよ。”

ぼくは30歳の時、初めて自分の店をやったということもあって、今思えば異常とも思えるほど働いていた。その時には半ば本気で ”ぼくは、本当に死なないんじゃないか・・・” とさえ思ったこともある。それが35歳を迎えた時には、”もう、人生の半分を折り返してしまったんだ” と実感をした。
20代の時には、 ”将来、店をやって、歳をとったらノンビリしよう” なんて思っていたのに、実際に40歳になった時には、 ”ヤバい、残りの時間を考えると、ノンビリなんてしている暇ないじゃないか” と駆り立てられるような気持ちになったものだった。

孔子の言葉に、「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、・・・」というのがあるらしい。
さすがにこの年齢になると、若い頃のように自分と他人を比べ何か思うといったこともほとんどない。「他人は他人、自分は自分。」と思えるから、孔子がどれほど偉い人だろうが、何を言い残していようが、そんなもん知ったこっちゃない、「孔子は孔子、ぼくはぼく。」程度に思っていたんだけれど、晩年に振り返ったというこの言葉を知った時には、”確かにその通りかも知れないなぁ・・・” と思った。

三十にして店という形で立ち、四十にして惑わず東京へ出店し、とここまではいい。孔子の言葉通りなら、次は ”五十にして天命を知る” はずなんだけれど、それももう数ヶ月後に迫ってきているというのに、どういうわけか未だに連絡がない。
天命をどういった方法で知るのかもわからないけれど、とにかく今のところ着信もなければ、受信トレイにもない。
それどころか四十にして惑わなかったはずなのに、五十を目前にして天命を知るどころか、正直ぼくはいろんなことを惑い、迷い始めている気がする。

「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして惑う」

ぼくと同年代の人たちは、もう天命を知ったんだろうか・・・

渋谷すばるさんの言葉を聞いて、何となくそんなことを思ったのでした。

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。