Twitterのこと。6.

ツイッターを眺めていると結構な頻度であちらこちらが燃えていたりするんだけれど、きっとツイッターには ”おせっかいやきな人” が多いんだと思う。

狙って炎上させるようなものは別として、既に著名だったり賢いと思うような人たち同士がやり合っているのを見かけると、どうしてそんなことをやっているのかと不思議になる。
もちろん問題提起だとか意見の対立だというのはわかるんだけれど、ぼくにはそれが建前にしか思えなくて、本当のところは肥大した自意識や自己顕示欲の競い合いをしているだけのように見えて仕方がない。
そう考えると、最近よく見聞きするようになった ”マウンティング” という言葉も出てくるべくして出てきた言葉だと思えるし、これこそ肥大した自意識、自己顕示欲を端的に表し、揶揄した言葉なんじゃないかとさえ思えてくる。
だからぼくなんかは ”もう十分に地位も名誉もあるような人たちが、これ以上そんなに無理をしてまで何故?” と単純に思ってしまう。
賢い人たちのことだからきっとそこには何かしらの狙いがあるんだろうとは思うし、人によってはそれをエンターテイメントとしてやっているような気がしないでもない。

こういった名のある人たちの舌戦というのはどちらかが折れる、歩み寄るといったこともまずなくて、そもそもの前提としてお互いが「自分の考えは正しい。よって、あなたの考えは間違えている。」といった論理であることがほとんどだから、平行線のまま結論なんて出るはずもない。
それに「話し合えさえすればきっとわかってもらえる」というのが現実にはそうでもないことや ”そう思いたい人、思い込んでいる人” を相手に何を言っても無駄だということも、ある程度の大人なら経験則としてわかっているはずだと思うんだけれど。
バカなぼくが見ていてもこうして不毛にしか映らないんだから、この賢い人たちはきっとそんなこともわかった上でやっているんだろうとは思う。
だから誰得なのか、何得なのか、といった狙いがぼくにはサッパリわからない。

火種である当事者同士がやり合っている分には、やはりそこは賢い人同士の意見や考え方の相違というだけなので、傍観者でしかないぼくにすれば ”確かにその通りだなぁ” とか ”それも一理あるな” ”そう言えばわかりやすいのか” と、ある意味思考のトレーニングにもなるといった良い面もあったりする。ところがこういった著名だったり人気のある人には多くのフォロワーがいて、その中にはやはり信者のような人たちもいるので今度はそうした人たちがそれぞれの加勢を始めるようになる。
つまり、これが火種に薪を焚べ、燃料投下することになり、そこへ付和雷同した人たちまで加わって炎上へとつながる、というのがその仕組みなんだと思う。

ここまでくると、もうなんだかよくわからないまま同調圧力によって加わったような人たちまでいるので、フォロワー同士の罵詈雑言の中には本題や本質とは無関係な人格への攻撃といった感情論まで含まれるようになってくる。その論点のずれた罵り合いはまさにマウントの取り合いだし、ネットリンチと呼ばれるような酷いものになるとマウントを取った方が一方的に、それも執拗に攻撃をするだけなので、ぼくなんかはPRIDEでのセルゲイ・ハリトーノフvsセーム・シュルトを思い出し戦慄さえ覚える。

場合によっては火種の段階では良い問題提起だったかもしれないのに、炎上によって無駄になってしまっているのならもったいないなぁと思うし、それ以上に感情論って面倒だなぁ、付和雷同、同調圧力ってデビルマンのラストシーンを思い出すようで恐ろしいなぁ、ネットリンチって嫌な言葉だなぁと思いながら見ているだけでも疲れてくる。
自分が当事者でなかったとしても罵詈雑言やネガティブなツイートを目にするのは疲れるし、気持ちだって消耗する。
それに加え、以前はあれもこれも逃すまいとフォローをした結果、日々流れてくる多過ぎる情報やネガティブなツイートに疲れ、ぼくはツイッターから離れた。

FBの場合、選ぶ公開範囲さえ間違わなければ(いわゆる「公開」にしなければ)、ユーザーにとっては ”優しい世界” なんだと思う。
ツイッターを総合格闘技に例えるなら、FBはとてもプロレス的だ。基本的には好意的な人たちでつながり、「友達まで」などにしてしまえばそこから先はプロレス的予定調和な世界が待っている(そういった意味では ”笑っていいとも!” 的でもある)。

「相手レスラーをロープに飛ばせば、技を受けに戻ってきてくれる」

「ちょっとした話を投稿すれば、好意的な ”友達” が『いいね!』を押してくれる」

「コーナーポストに登れば、飛んでくるまで技を受けるためによけずに待っててくれる(たまによけるレスラーもいる)」

「いい話を投稿すれば、好意的な ”友達” が『いいね!』だけでなく、好意的なコメントをくれる(たまに異論や反論もある)」

ぼくがFBに対して ”何か違うなぁ” と感じているのはおそらくこれであり、またこの「予定調和な世界」というのは優しい世界ではあるけれど、きっと飽きられやすいものでもあるとぼくは思っている。今FB離れをしている人たちの中には同様に思っている人も多いんじゃないかなぁ。
ちなみにツイッターも鍵で非公開にできるけれど、これだとよほどフォロワーの多い人でもない限りツイッターの良さも同時に失われるだろうから、こういった場合も早晩ツイッター離れになるんじゃないかと個人的には思う。

最近、何周かしてまた ”ツイッターがおもしろいかも。” と感じるようになった。

以前のように疲れたり依存するほどやろうとは思わないけれど、能動的に選ぶ相手や数さえ気をつけていれば、自慢だったり、説教くさいもの、罵詈雑言や殺伐としたツイートが流れてくることもない。
また、自ら発言することのリスクが心配なら見ているだけでもやはりツイッターは有益な気がするし、実際ぼくも今のところはほとんどリストを見ているだけだったりする。

ツイッターほど諸刃の剣なSNSも他にないと思うし、気づいた時には自分が薪を焚べ、燃料投下をしている側にならないよう上手に距離を保ちたい。
深淵をのぞくとき、また深淵もこちらをのぞいているのが、ツイッターなんだと思う。

 

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。