凡人も悪くないと思う話。3.
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ぼくが ”凡人も悪くないなぁ、いや、もしかして凡人の方が良いくらいなんじゃないか” と思うようになったのは、随分大人になってからだった。

小学生の頃は、図画の時間に描いた絵をコンクールへ出してもらい、卒業するまでに何度か賞状をもらった憶えがある。その中でも小学2年生の時に描いた絵は、全国だか京都府だったかの(多分、全国だった気がする)大きなコンクールで銀賞をもらった。
何年も経ったある日、小学2年生の時の担任と街中で偶然出会ったうちの母は、当時コンクールの審査員から担任へ伝えられたという話の内容を教えてもらったらしい。

「とても子供の描く絵とは思えない。子供らしくない。」

およそ、そんな話だった。だから銀賞になれたのか、あるいは銀賞止まりだったのかは知らないけれど(多分、後者だと思う)、小学校の6年間はどの担任からも絵だけは褒められ続けていたので「自分は絵が上手なんだ」と思っていたし、中高と進んでからもずっと自分の手先は器用なんだと信じて疑うこともなかった。

ところが、 ”あれ?もしかしてぼくは不器用なんじゃないか…” と思うようになったのは、仕事として料理を始めた頃のことで、自分でも嫌になるほど何をやっても下手で不器用だと思わざるを得なくなった。
自分のペースで絵を描いたりモノをつくるのとは違い、それが食材を扱う料理である以上何をするにもとにかく速さが求められた。あの頃のぼくは、そのプレッシャーや焦りからやることなすこと裏目に出ていた気がする。それでも店をやることが目的である以上諦めるわけにもいかないぼくは、不器用だと自覚しながらも料理の仕事を続けた。
技術というのは、よほど特殊なものや高度なものを求めでもしない限り、諦めさえしなければ遅かれ早かれ誰にでも身に付くものだと今も思っているんだけれど、あれだけ不器用だったぼくも20代半ばを向かえる頃には人並み程度にはできるようになった。

この頃にぼくが漠然と思っていたことといえば、「もしかしたら、ぼくは将来的には大化けをするタイプなんじゃないか」、「今はパッとしないけれど、店をやる頃には才能が開花するに違いない」なんて、イタイ妄想だった。自分が不器用であることもちゃんと自覚していたので、「調子に乗っていた」というのともちょっと違う気がする。
今思うと滑稽で根拠のないこの自信が一体どこからきていたんだろうと考えてみたりするんだけれど、思いつくものといえば、「若かったんだなぁ、おれ。」ということくらいしかなかった。

つづく

 

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。