凡人も悪くないと思う話。5.

「個性的」というのは大抵の場合、好意的だったり肯定的に ”特別” といったニュアンスを含んで使われる言葉だと思うんだけれど、個性は個人それぞれがもともと持っているものなんだから、それが普通の人、凡人であろうが誰もが個性的であるのは当然のことなんじゃないの、と屁理屈っぽいことを思ったりする。
同じような使われ方をするものに「普通じゃない」「他の人とは違う」といったものがあるけれど、ひねくれているぼくなんかは ”普通って何だよ” 、”みんな同じじゃないのなんて当たり前だろ” とも思ったりするんだけれど、かく言うぼくも若い頃は ”普通じゃ嫌だ” ”みんなと違って個性的でありたい” と、やはり思っていた。

30年ほど前、遊び仲間であり、かなり年上の友達が経営されている人気の居酒屋へよく通っていた時のこと。
カウンターで一人黙々と食事をしていたぼくの隣では、若いカップルのお客さんがカウンター越しに店主と随分盛り上がっていた。
この店主である年上の友達は、職業柄ということもあるだろうけれどそれを抜きにしても天才的に話術の上手い人だったので、こういった光景はいつも見かけるものだった。
カップルがとても満足そうに「また来ます!」と言って帰られた後、お見送りをした店主はカウンターの中へ戻り、ぼくにこう話しかけてこられた。

「西山、今のわかったか?お前らくらいの若いやつを喜ばすのなんて簡単や。『きみ、変わってんなぁー』これだけや。このひと言だけで自分は他のやつらとは違う思うて喜ぶんや。」

ぼくはドキッとした。相変わらず口の悪いおじさんだなぁとは思ったけれど、彼の言ったそれは真理をついていると思った。
あれからもう30年も過ぎたけれど、『きみ、変わってんなぁー』と言われて喜んじゃう人が今も多いことを思うと、 ”普通じゃない、他の人とは違う自分でありたい” といった人の心理というのは、時代や世代関係なく普遍的なものなんだなぁと思う。

「ぼくは天然なんで」と言っちゃう人が天然でないように、「ぼくは変わってるってよく言われるんです」と嬉しそうに話す人と会っても本当に変わった人だと感じたことがないんだから、実際にはごく一部の人を除けば世の中の大半の人はいわゆる普通の人なんだろうし、無理に変わった人になる必要もないんじゃないかなぁと思ったりする。

ぼくが自分のことを ”普通の人間” ”恐ろしいほどの凡人” というのは、昨日書いたように現実を知り自分の能力を思い知った上でのことなのでそこに謙遜といったものは本当にないし、だから凡人であることをまったく卑下することもない。
今ではうちの店が上手くいっているとするなら、 ”だからなんじゃないか” とさえ思うようになった。
ぼくの考えるもの、つくるものが普通だからこそ広く多くの方に来てもらえているのであって、もしぼくが才能にあふれ、すごいものを生み出すような人間だったとしたら逆に一部の人にしか支持をされなかったような気がする。

やっぱり普通であること、凡人であるのって、そんなに悪いものじゃないよ、って思う。

 

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西山 逸成

代表取締役製造補助

Le PetitmecとRéfectoireの隊長をやっています。